最近、コンシューマーゲームの話題をとんと聞かなくなりました。周りはみんなソーシャルゲームやブラウザゲームのプレイヤーばかりで、現に私もここ最近はコンシューマーに手を出さなくなりました。

原因はなんでしょうか? わざわざハードを買うのが高いとか、ハードを置く場所が無いとか色々あると思いますが、私はコンシューマーゲームから「挑戦の要素」が無くなったからつまらなくなったと考えます。

ゲームは必ずしも最後までプレイできなくてもいい

昔のゲームは最後まで進められない「詰み」の状態に陥る事が多く、むしろ最後までクリアできるゲームのほうが希少だったと思います。単純な難易度の高さや理不尽な謎解き、バグが多くて進めれなかったりデータが消えやすかったり・・・。

しかし、むしろその不自由さこそが「挑戦の精神」を育み、たとえ最後まで進めなくても、プレイした楽しい思い出を残す結果になったと考えています。

では、今のゲームは簡単すぎるのでしょうか?それは違います。今も昔もゲームの難しさは変わらないのですが、現代にはゲームをクリアするためのヒントが多すぎるのです。

ネットの弊害 


現代は様々な情報がネットで手に入る時代です。そのため、ゲームの攻略法も簡単に調べれるようになってしまいました。一番影響が大きいのは謎解きの部分です。

子供の頃には分からなかった様々な謎解き・・・、「バベルの塔の壁画」や「ウィザードリィ5の三軸の門」、「ワイルドアームズのダンジョンの謎解き」などが、ネットで調べるだけで一発でわかってしまいます。

もちろん、何の障害もなく簡単にクリアまでいけるゲームが好きだという人や、ネットの情報を遮断してゲームするのが好きという人も居ます。しかし、現代のソシャゲやブラゲの流行り具合からして、そういう人は少数派だと私は考えます。その答えは「みんなで攻略しあう楽しさ」にあります。

みんなで集まって攻略する楽しさ


例えば20年ぐらい前、ファミコンやスーファミが主流だった時代、友達の家に集まってゲームをすることがよくあったと思います。それは別に今でも珍しくないのですが、現代との大きな違いはそのゲームのジャンルにあります。

昔はどんなゲームでもみんなで遊んで、攻略情報を出し合って楽しんでました。これは、今のようにネットで調べればなんでも解決できるという状況ではなく、子供の未熟な知恵や技術で難関を突破する必要があったからです。

例えば何回挑んでも勝てないボスや、難しくて投げ出してしまったアクション、三元論や錬金思想といった子供では分かるはずもない知識を使った謎解きなど、1人で突破できない問題が昔のゲームには沢山ありました。

それをみんなで知恵を出し合って攻略することで、一体感と仲間意識を持つことができました。その場ではクリア出来なかったとしても、みんなと遊んだ事は大人になった今でもいい思い出として残っています。少なくとも私はそうです。

大人になってからみんなでゲームするにはどうすればいいのか?


しかし、大人になってからではゲームをみんなで遊ぶというのは難しいです。社会人は忙しく、ゲーム好きな人で集まって遊ぶという時間が中々とれません。だからこそ、みんなで助けあい、攻略情報を共有するソーシャルゲームが流行ったんだと私は思います。

ですが、やはりその場で笑い合い、一緒に騒いでゲームするというのはまた格別な楽しさです。任天堂が出している多くのパーティゲームはそのような楽しみ方ができる現代では数少ないゲームではないでしょうか。ぜひ機会があれば、周りのゲーム好きな人を誘って、一緒にゲームしてみてはいかがでしょうか?

そうすれば、ゲームを楽しむのに年齢は関係ないと感じる事が出来るはずです。 

まとめ


ゲームとは本来、クリア出来なくて当たり前、それでも楽しいと感じるものでした。しかし、最近のゲーム・・・。特にRPGは、ネットの攻略法を見なくても、親切な作りをしすぎててクリア出来ないという事が滅多に無くなってしまったと感じます。そのようなゲームはゲームではないと私は考えます。

やはり人生にとっては挑戦することが大事です。そのためには、人生の問題にも、ゲームにも、常に全力に取り掛かれる心を持てるようになりたいものです。

それではまた。