何かとネット社会では叩かれがちな「承認欲求」。ですが、その行為すべてが害悪というわけでは無く、中には「他者貢献」と言われるような行為があると考えられます。今回はその事を書いてみます。

承認欲求と他者貢献の違い

この記事は、過去に私がツイートしてtogetterにまとめた内容を書き直しているんですが、そのまとめは7000回以上も見られた物です。
そのまとめをブログの記事として書き直してる時点で、単に「承認欲求」からの行動と思われるかもしれません。

しかし、ブログで書き直す事により、もしかしたら同じ事で悩んでる人の目に止まるかもしれない。役に立つかもしれない。そういう視点から見ると、「他者貢献」になりえるものだと私は考えています。

承認欲求と他者貢献の違いは非常に曖昧です。私はこの違いを「見返りを求めるか求めないか」で区別出来ないかと思っています。

このブログ内でも度々出て来る「アドラー心理学」の考え方では、「貢献感は自己満足、他者からの評価は必要ない」とされています。

つまり、私が今こうして記事のリメイクをして、もしかして「訪問者」という見返りが増えるかもしれない、注目が集まるかもしれない、と思ってしまったら、それは単なる「承認欲求」になると思われます。

逆に、自分の知識の整理のために過去のツイートをまとめるという意識や、先程言った「もしかしたら人の役に立てるかもしれない」という意識を持てば、「他者貢献」になると推測します。

それではなぜ、「承認欲求」は悪者扱いされるのでしょうか。それは、見返りを求めすぎてしまうと「悪い行動」を起こしてしまうからです。

承認欲求の問題点

自分に技術が無く、注目されたいという「承認欲求」を満たそうとする場合、他人の持っているもの(ツイート、絵)などを盗んでしまうのが手っ取り早いです。これを俗に「パクツイ」と呼びます。

また、悪目立ちすることでも手っ取り早く有名になります。仕事先の冷蔵庫に入った写真や動物の虐待写真をネットにアップしたり、盗難などを自慢したりなどがそうですね。

こうした行き過ぎた承認欲求は、極端な行動を生み出してしまいます。
アドラー心理学では、悪いことをする事でしか承認欲求を満たせない人間を、「犯罪者」と定義しています。

しかし、逆に言えば、他者に迷惑をかける行動を起こさない限り、自分の中で貢献と思っていればそれは「他者貢献」になると思われます。

他者の迷惑にならなければ、「他者貢献」である

私は、こうして記事を書くのは久しぶりで、その原因は「読者を集める」という事を意識しすぎて起こった「承認欲求」の結果だと考えています。

しかし、確実に記事を読んでもらう方法なんてありません。それよりは、自分の知識のため、自己満足から来る貢献感を味わうため、と割り切った方が行動しやすいのかもしれません。

今後もこうした過去の呟きを元にした記事を書いていこうと思います。それではまた。

元記事→http://togetter.com/li/1015233